藤沢数希 著
結婚生活が破綻した場合に起こる金銭のやり取りについて書かれた本。
離婚の際に動く金は
A.慰謝料
B.財産分与
C.婚姻費用
このうち、A.慰謝料は高くても100〜200万程度で大した額ではない。
B.財産分与
“結婚してから”築き上げた財産は、離婚時に夫婦で折半される。
仮に夫だけが働いて稼いだ場合でも、その財産は「専業主婦である妻の内助の功」があってからこそ築かれたとみなされる。
実際には専業主婦の奥さんがいたからといって2倍働けるようになるわけでも2倍稼げるようになるわけでもないけど、そうなっている。
C.婚姻費用
通称「コンピ」。この本の肝。
いざ離婚しようと決まっても、書類上で婚姻関係にある間は、稼いでいるほうは稼いでいないほうへ金を払う必要がある。
この婚姻費用を搾り取るために離婚調停をだらだらと引き延ばす妻も少なくない。
結婚を金融商品/債券の契約としてみた場合、結婚相手は安定したキャッシュフローを生む相手を選ぶべきである。
相手の実家が太かったり、すでにピークをすぎたスポーツ選手などと結婚しても、自分の財産は増えない可能性が高い。
現在の婚姻制度は、明治時代に制定されたものが変わることなく使われており、現代の価値観とそぐわないのが現状である。
女性の社会進出が進み、しっかりとした収入がある女性にとっては、自分より金持ちの男と結婚できないなら結婚しないほうが(たとえ子供を持つとしても)マシということになる。
本書の後半はこうした婚姻制度の歪さを指摘し、人々が幸福な結婚生活を営めるためにはどうしたらよいか、その命題を投げかける内容になっている。
〜ここから感想〜
「結婚しなくてもいいかなぁ」という気持ちになった。
様々な場で「読むと結婚したくなくなる本」と紹介される本書だが、ぼくもその例に漏れなかったようだ。
ただ、積極的に「結婚したくない」に傾いたわけではなく、「結婚したい」側に傾いていた針がプラマイゼロに戻ったような感じかな。
この本を読んで、男女(多様性が求められる社会なのはわかっているが、簡便のためこう書かせてもらう)の繋がりって色々あるよな、と改めて考えさせられた。
a.身体/肉体の繋がり
b.精神/心の繋がり
c.遺伝子の繋がり
d.生活の繋がり
e.金の繋がり
この本はe.に特に重点を置いて、「結婚するなら自分と同じくらいか、自分以上に収入がある人がいい」と言っているわけだ。
自由恋愛の延長に結婚が置かれている場合、a.やb.が重視されるんだろうなと思う。
Twitterで定期的に「結婚相手は◯◯で選べ」みたいなツイートが流れてくるけど、「顔がよければ喧嘩しても許せる」「絶対に自分の味方になってくれる安心感」「生活のストレスがない以上のことはない」など、どの意見も見てきた。
単にそれぞれのツイートをした人がどれに重きを置いているかなんだろうなと思う。
5つ全てを一人の相手に求め合うこと自体が無理筋なんだよな。
夫婦間のセックスレスの問題とかはわかりやすい形で表面化する問題だけどさ。
子供がいても一緒に暮らしていない人もいるし、もっと自由に男女が繋がっていられる社会の形でもいいんじゃないかと思う。
セックスしたい人とセックスして、一緒に映画を観に行きたい人と映画観て、一緒に暮らしたい人と暮らして、子供を作りたい相手と子供作って、経済的に信頼できる相手と財産を築く、そういう生き方があっても(もうやってる人はいるだろうけど)いいと思う。
たぶんそういう生き方が広がったら、ぼくみたいな非モテは誰ともセックスできずに遺伝子も淘汰されるんだろうけど、現状の狂った婚姻制度に振り回されて結婚できないことを嘆くよりかは多少マシなんじゃないかな?
「結婚していなくて、いつでも離れられるけど、一緒にいたいから付き合っている」っていう状態のほうが、その逆の状態よりも健全だと思う。